カイサリア・マリティマ
カエサリア・マリティマ、すなわち海辺のカイサリア(, ラテン語 : Caesarea Maritima, ヘブライ語 : קיסריה (Qisariyyah))はカイサリア・パレスティナ(, ラテン語 : Caesarea Palaestina)とも呼ばれた都市で、ヘロデ大王が紀元前25年ごろからパレスティナのヤッフォのすぐ北に建設した。 もともと存在した「ストラトンの塔」(ラテン語 : Turris Stratonis)という小要塞をもとに大増築し、都市とそれに付随する人工港湾まで建築した。紀元前13年には市民が入植し、パレスティナではもともと良港が少なかったため、カイサリアは重宝され、ユダヤ人やギリシャ人など多民族の混住地となった。ローマ帝国もカイサリアの海上交通の利便さに目をつけてここをユダヤ属州の首都とし、ローマ総督と軍隊の駐屯地とした。カイサリアは栄え、新約聖書の『使徒行伝』にも登場する。最初の異邦人キリスト教徒はこのカイサリアで誕生したのである。 フラウィウス・ヨセフスは著作『ユダヤ古代誌』および『ユダヤ戦記』で、カイサリアでユダヤ人虐殺が起きたことがユダヤ戦争の引き金と…