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ポーランド

- 、通称ポーランドは、国連の区分では東欧、米CIAの区分では中央ヨーロッパに位置する共和制国家。欧州連合(EU)、北大西洋条約機構(NATO)の加盟国。通貨はズウォティ。首都はワルシャワ。 北はバルト海に面し、北東はロシアの飛地カリーニングラード州とリトアニア、東はベラルーシとウクライナ、南はチェコとスロバキア、西はドイツと国境を接する。 10世紀に国家として認知され、16世紀から17世紀にかけポーランド・リトアニア共和国を形成、ヨーロッパで有数の大国となった。18世紀、3度にわたって他国に分割された末に消滅(ポーランド分割)、123年間にわたり他国の支配下ないし影響下に置かれ続けた。 第一次世界大戦後、1918年に独立を回復した。しかし第二次世界大戦時、ナチス・ドイツとソビエト連邦からの事前交渉を拒否し両国に侵略され、再び国土が分割された。戦後1952年、ポーランド人民共和国として国家主権を復活させたが、ポーランド統一労働者党(共産党)による一党独裁体制であり、ソ連に従属する衛星国であった。1989年に行われた自由選挙の結果、非共産党政権が成立し、現在のポーランド共和国となった。 冷戦…

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ヤスナ・グラ修道院
ヤスナ・グラ修道院
Częstochówka
ヤスナ・グラ修道院()は、ポーランドのチェンストホヴァにある、聖母マリアに捧げられたカトリック教会の修道院である。ポーランド中から巡礼が訪れる。ヤスナ・グラの聖母と呼ばれる御絵(イコン)は奇跡的な力を持つとされており、ヤスナ・グラ修道院の最も貴重な宝とされている。 1382年、オポーレ公ヴワディスワフ・オポルチクに招かれてハンガリーからやってきたカトリックの司教団が建設した。このあたりでは最も重要とされる聖母マリアのイコンがあるため、数百年にわたって巡礼地となっている。ヤスナ・グラの聖母は数々の奇跡を起こしてきたとされ、崇敬されている。たとえば17世紀の大洪水時代にスウェーデンに侵略された際、この修道院が包囲されたにも関わらず奇跡的に残ったのは、このイコンが守ったからだとされている。この一件は軍事的には重要ではなかったが、これによってポーランドの抵抗が盛り上がった。ただしポーランド側は即座に戦局を盛り返したわけではなく、クリミア・ハン国との同盟後にスウェーデン側を撃退することができた。その直後の1656年4月1日、ポーランド王ヤン2世はリヴィウの大聖堂で、神の母の庇護の下に国を捧げるこ…
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オーデル川
オーデル川
Trzebież
オーデル川(, )は、中央ヨーロッパを流れる河川である。チェコ共和国北東部のズデーテン山脈に源流を発し、ポーランド国内のシレジア(シロンスク)を北西に向けて流れ、ポーランドとドイツの国境(オーデル・ナイセ線)沿いの延長187 kmを北に向かう。ナイセ川・ヴァルタ川などの支流を合わせた後、ポメラニア(ポモージェ)に入りシュチェチンの北にある潟湖(シュチェチン湾)へ注ぎ、そこから3つの川(あるいは海峡)に分かれてバルト海に注ぐ。 全長は854.3 km、流域面積は11万8,861 kmにおよぶ。水位の変動が激しいことで有名である。 オーデル川とはドイツ語に由来のする呼称で、ポーランドではオードラ川と呼ばれている。また現代ドイツ語発音に基づきオーダー川とも表記される。 中流にはヴロツワフ(独:ブレスラウ)、下流にはシュチェチン(独:シュテティーン)などの都市がある。運河でヴィスワ川と結ばれており、シロンスクの重工業地域とポーランドの中央部が水運で繋がれている。ポーランドの生命線の役割を果たす川である。 1945年のポツダム会談により、ドイツ・ポーランドの暫定的な国境として設定されていたが、1…
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グダニスク造船所
グダニスク造船所
Suchanino
グダニスク造船所(グダニスクぞうせんじょ、ポーランド語: ストーチュニャ・グダーィンスカ)は、ポーランドのグダニスクにある造船所。ナチス・ドイツの造船所を1945年に再建稼動させたもの。 グダニスクでは、1570年代から造船業が発達した。1804年にはプロイセン王国の下で最初の造船所が開かれ、1871年にはドイツ帝国の造船所が開業した。第一次世界大戦後は、自由都市ダンツィヒに含有された。その後、ナチス・ドイツがグダニスクを占領し、用途別に4つの造船所を操業した。 第二次世界大戦後、ポーランド人民共和国の造船所となった。当初はグダニスク造船所などと称していたが、1967年4月15日付けでレーニン記念グダニスク造船所()、通称レーニン造船所となった。 冷戦時代、グダニスク造船所は東側諸国の中心的な造船所のひとつとして多くの船舶を建造した。それらは、ソ連など友好各国に供給された。1980年、造船所の独立自主管理労働組合「連帯」による労働運動が、ポーランド民主化、さらには東欧革命の扉を開いた。「連帯」委員長のワレサは、同造船所の電気工であった。 民主化後、民営化され経営が悪化し大規模なリストラ…
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