デッサウ・ヴェルリッツの庭園王国(、デッサウ-ヴェルリッツァー・ガルテンライヒ)は、ドイツおよび大陸ヨーロッパにおける最初にして最大級の英国式庭園である。「ヴェルリッツの英国式庭園」とも呼ばれる。この庭園は、18世紀後半にアンハルト=デッサウ侯レオポルト3世・フリードリヒ・フランツによって創設された。この庭園はエルベ川の一時的な支流(ふたたび本流に合流する)沿いに位置し、水に恵まれている。 公園の起源は17世紀にこの地の領主であるアンハルト=デッサウ侯ヨハン・ゲオルク2世がオランダ総督フレデリック・ヘンドリックの娘ヘンリエッテ・カタリーナと結婚したときまで遡る。ヘンリエッテ・カタリーナはネーデルラント地方から、オラニエンバウム()の街や公園のレイアウトを手がけた技術者や建築家の一団を引き連れてきた。 オランダの影響はその後何十年にも亘ってアンハルト=デッサウでは流行りのスタイルであり続け、英国びいきの侯爵レオポルト3世が、ドイツ初の新古典主義建築であるヴェルリッツ城(Schloss Wörlitz, 1769年 - 1773年)を手がけたフリードリヒ・ヴィルヘルム・フォン・エルトマンス…